専門医がApple Watchのデータを「紙出力してほしい」と呼びかけた理由とは?

 AppleがiPhoneやApple Watchを介して様々な生体情報を測定し、健康管理の手助けをしたり、疾患の兆候を知らせてくれる機能を持つようになってから数年が経った。こうした機能を愛用している人も多いだろう。しかし日本では、こうした機能で実際に疾患の兆候がある、と示された時にその後どうしたら良いか、患者側も医療機関側もまだまだ不慣れな部分があるのではないだろうか。こうした状況のなか、東京都医師会理事で脳神経内科医の目々澤肇氏(当サイトのコラムニストとしても随時寄稿中)が、医師会の会見のなかで、これらの情報をどう扱えばよいかわかりやすくレクチャーしてくれたのでご紹介したい。

Apple Watchの心房細動検出機能は「あくまで気づきのツール」

(目々澤氏提供)

目々澤氏はまず、Apple Watchが心電計として日本でも認可されていること、その機能のひとつである心房細動を含む不規則な心拍の検出機能について触れ、医療機器として認可されているが、これはあくまで家庭で異常を検知するための「気づきのツール」であり、異常を見つけたら医療機関を受診して欲しいと強調した。これにはきちんとエビデンスがある。

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 実はアメリカの規制当局であるFDA(米食品医薬品局)が当初この機能を認可した際、「これまで心房細動と判断されていない人を対象とする」ことを条件としており、また、Apple Watchのこの機能の精度を追加的に検証した複数の研究結果を俯瞰したこちらの論文によれば、心房細動の検出については「検出精度」は60-75%、「陽性的中率」は95%となっているからだ。簡単にいえば「見逃すこともままあるが、おかしいですよと提示してきた時はほぼ当たっている」ということだ。なお短時間の異常については見逃す場合が高まるとされている。

 このことを踏まえて、目々澤氏はApple Watchを使用するユーザーに対して「3回分の記録を持ち込んでほしい」と呼びかけた。1回の計測時間は30秒で、これは病院で一般的な検査をする際とほぼ同じ時間だが、Apple Watchの検出精度を補うために複数回データを取ってもらいたいということだろう。

いずれにしろ、Apple Watchで異常と提示されても当然ながら確定診断、治療とはならない。このデータを医療機関で医師にしっかり診てもらい、同時により高精度の医療機器による検査(場合によっては24時間計測する場合もある)をしてもらうことが重要になる。「何か心臓がおかしい気がする」と診察で訴えるよりも、「家庭用の医療機器」として認可されたApple Watchによる計測データがあれば、よりスムーズに詳細な検査をしてもらえるメリットは確実にあるのだ。

あえて「紙で印刷して持ち込んでほしい」と呼びかけ

(目々澤氏提供)

次に同氏が呼びかけたのは「は紙で出力して病院に持ち込んでほしい」ということだった。デジタルデータをわざわざ紙に印刷するということにはかなり違和感を感じるかもしれないが、これにもきちんとした理由がある。

(目々澤氏提供。会見ではPDFへの書き出し方を画面を見せて丁寧に説明した)

 Apple Watchで計測した心電図データは、ユーザーの「ヘルスケア」アプリの中で閲覧できるが、日本においては残念ながら医療機関が使う電子カルテではほぼ取り込めないため、ユーザー自身が医師にアプリを見せるしかないのがほとんどだ。そして、ここは医師にとってかなり重要なことだが、「ヘルスケア」アプリの画面のなかで心電図データを見ても医師にとっては分かりづらいことが多く、何よりも電子カルテに取り込めないということは、診療記録としてそのデータを載せられないということであり、文書上かなり微妙なことになってしまうのである。さらに、クリニックにおいては、いまだ電子カルテの導入率が5割以下にとどまっている(2020年時点で46.7%)。つまりそもそも紙ベースでないと受け取ってもらえない場合すらあるのだ。

 そうならないためには、PDF保存機能でいったん紙にデータを出力し持ち込んで、医療機関でスキャンしてデジタルデータにし直してもらう、または紙でそのまま紙カルテに添付してもらう、ということが必要になってくる。もちろんそのPDFをメールで受け付けてもらえたり、macOSで動く電子カルテを運用している医療機関ならAirDropで送付することも可能ではあるが、正直言えばかなり少数派だ。目々澤氏は生粋のmacOS派でIT知識も豊富だが、心房細動についてきちんと診ることができる医療機関の事情をふまえて、どんな場合でもデータを受け取ってもらえる手段として「紙出力」を呼びかけているというわけだ。

 また、診療面でもPDF・紙出力するメリットがある。ヘルスケアアプリ上では、心電図データを横スクロールして見るしかないのだが、PDFにすると30秒の計測時間全体を俯瞰してみることができる。経過時間の目盛りも出力され、医師にとっては、画面で見るよりも明らかに細かく確認、評価することができる。臨床経験が豊富な専門医にしっかり診てもらおうとするなら、いまの日本の現状では、PDF・紙出力した心電図データで細かく診てもらうのが最善の選択ということになる。会見で目々澤氏は、Apple Watchが心房細動と提示したデータ以外、「高心拍」や「判定不能」とされたデータでも、医師が見れば異常の内容を見抜くことができる場合があるとした。その実例をいくつか紹介してくれたので掲載する。

実例1:高心拍や低心拍と提示された70歳女性

(目々澤氏提供)

Apple Watchのデータで高心拍や低心拍(1分間で60心拍以下の場合を言う。徐脈とも称する)と提示され、医療機関で検査後、ペースメーカーを導入し正常になった例。

実例2:判定不能と提示された70歳男性

(目々澤氏提供)

Apple Watchのデータで「判定不能」と提示されたが、診察で「心室期外収縮」と診断され投薬でおさまった例。

こうした診断と治療につながったのは、計測時間の30秒をじっくり見られるPDFあるいは紙だったからということもあるだろう。なおiPhoneに格納されたPDFを印刷する場合、自宅にプリンターがなくても、コンビニのネットプリントサービスで出力できる。

ただ、やはり「苦肉の策」でしかない

 とはいうものの、これは日本の現状において今のところ最善、というだけに過ぎない。Appleは2021年の時点で、「ヘルスケア」アプリに保存できる様々なデータをアメリカで使われている主要な電子カルテソフトウェアで直接取り込めるよう、メーカーに働きかけ実現している。日本ではAppleのこうした機能に対応している電子カルテは現在のところ存在しない。様々な事情はあるだろうが、これは残念ながら遅れているとしか言いようがない状況だ。

 Appleはさまざまなデバイスにこうした検知機能を搭載する動きを強めている。つい先日は、Air Pods Pro2による聴力検査機能、その結果に基づく「補聴器」機能の実装を発表し、日本でも9月30日に医療機器として認可された。機能実装はまだのようだが、今後もこうした機能は増えていくと考えられるし、Apple以外のデバイスもキャッチアップしてくることも想定される。日本の現状が早急に改善されることを願うばかりだ。