iPSコホートと機械学習で孤発性アルツハイマー病の病態解明に光 京大iPS細胞研究所ら

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 アルツハイマー病のほとんどを占める「孤発性アルツハイマー病」の病態解明に有効な技術が開発された。患者のiPS細胞からコホートを確立し、これまでのリアルワールドデータを機械学習で解析して得られた示唆をもって疾患に関係する遺伝子の推定を可能とするもので、すでにこの技術で新たな治療標的となりうる遺伝子を同定したという。

iPSコホートの構築・活用で新たな治療標的候補の遺伝子を同定

 技術開発に成功したのは 京都大学iPS細胞研究所の井上治久教授、近藤孝之特定拠点講師、理化学研究所の矢田祐一郎特別研究員(研究当時)、新潟大学の池内健教授らの共同研究グループ。高齢社会において増加するアルツハイマー病の病態解明は重要な社会課題だが、アルツハイマー病全体の中で95%の発症割合を占め、家族歴のない孤発性アルツハイマー病については、病態の遺伝的な原因を探る有効なアプローチがないのが現状だ。研究グループはこの課題を克服するため、現状得られるリアルワールドデータを補完し、解明の精度を上げるツールとして患者のiPS細胞コホートと、機械学習によるリアルワールドデータの解析を組み合わせる手法を採用。孤発性アルツハイマー病患者の遺伝情報の特徴を明らかにすることを試みた。

 研究グループはまず、患者102人の末梢血細胞からiPS細胞を樹立し、研究に用いる「iPSコホート」を構築。このiPSコホートを大脳皮質の神経細胞へ分化誘導し得られた神経細胞において、病態表現型の一つである老人斑の主要構成成分「アミロイドβ(Aβ)」の産生量を測定したところ、個人のAβ産生動態は一様ではなく、同じ孤発性アルツハイマー病患者の中でも多様な表現型があることを確認した。

(図1)iPSコホートから樹立した大脳皮質神経細胞のAβ42/40比率を対象とする細胞レベルのゲノムワイド関連解析対象となった遺伝子座のp値のマンハッタンプロット。赤線がp=5×10-8のゲノムワイドな有意水準を示す。24個の遺伝子座がゲノムワイドな有意水準を満たし、そのうち11個が新しく同定された。

 次に、iPSコホートから得られた病態指標の一つであるAβ42/40比率※1を表現型として、神経細胞レベルでのゲノムワイド関連解析を行い関連する遺伝子座を探索した結果、24個の遺伝子座を同定できた(図1)。このうち 13個の遺伝子は先行研究で関連性が指摘されていたものであったので、残りの11個は新しい関連遺伝子として同定された。

図2)siRNAを用いたAβ42/40比率変動の結果 cell GWASで同定された24個の遺伝子とAβの産生経路に関わる4個の遺伝子の計28個をsiRNAによりそれぞれノックダウンすると、8個の遺伝子で対照群と比べてAβ42/40比率が変化した。なお、一番上のJNJ-40418677はAβ42/40比率を変化させる陽性対照群となる化合物である。*は統計的に有意な変化であることを示す。

 研究チームはさらに、見いだされた遺伝子がどのようにAβ産生動態に影響するかを調べるため、実験的にRNA干渉を起こして標的の遺伝子発現を抑制。Aβ42/40比率が変動するかを調べた。すると、8個の遺伝子発現を抑制したしたときにAβ42/40比率が変動したことが確かめられ、これら8遺伝子が治療の標的となる可能性が示された(図2)。

iPSコホート確立で候補遺伝子群を推定、用いたPET結果予測の精度が向上

 また研究チームは、今回iPSコホートを確立することで初めて実施できた神経細胞レベルでのゲノムワイド関連解析で得られた、Aβ42/40比率に関連する496個の関連遺伝子データセットを用い、個人のアルツアハイマー病リスクの予測に取り組んだ。予測対象のデータとして米国のADNI研究※2から取得した実臨床リアルワールドデータを用いた。

(図3)cell GWASで見いだした遺伝子群と機械学習によるAD病態の予測 年齢・性別・APOE4遺伝型の情報(共変量)を用いてANDI研究参加者の脳内Aβの蓄積状況を予測した場合(左)に比べて、年齢・性別・APOE4遺伝型の情報とcell GWASで得られたポリジーン情報を用いた予測(右)は精度が上昇した。AUCは統計学用語で0~1の値をとる。1に近いほど判別能が高いことを示す。

 496人のADNI研究参加者のSNP情報を基に、それぞれの参加者の関連遺伝子群の遺伝型(塩基配列パターン)を定め、これらの情報を用いた機械学習によりAβの脳内沈着を検出するPET検査の結果を予測した。すると、年齢、性別、Aβの脳内蓄積に関わっているとされるAPOE4遺伝型※3の情報だけを用いたときに比べて、それらに今回の研究で得られた遺伝型情報を加えると、PET検査の予測精度が向上することが確認された(図3)。この結果から、今回見いだした関連遺伝子群は実臨床におけるAβ蓄積に関与することが示唆された。

 研究チームは今回の成果をもたらした新技術を「Cellular dissection of polygenicity(CDiP)テクノロジー」と命名。アルツハイマー病の大脳皮質神経細胞のみならず、認知症の多種多様な病態をさまざまな細胞種で解析することにより、複雑な孤発性高齢疾患を分解・再構成し、個人の病態発症予測の社会実装が期待できるとしている。研究成果は論文として「Nature Aging」誌に2022年2月17日付で掲載された。

※1 Aβ42/40比率
アミロイドβ(Aβ)、Aβ42/40比率。アミロイドβは、家族性アルツハイマー病の原因遺伝子であるAPPがコードするアミロイドβ前駆体タンパク質から、β-セクレターゼやγ-セクレターゼなどの酵素による切断の結果産生される40アミノ酸程度のペプチドのこと。Aβ42/40比率は、42個のアミノ酸からなるAβ42と40個のアミノ酸からなるAβ40の比率のこと。より凝集性の高いAβ42の存在比率であるAβ42/40比率が高いと、ADのリスクにつながる。

※2 ADNI研究
ADNIは2003年に米国で開始されたアルツハイマー病の画像診断を用いた先導的研究のこと。ADの治療薬の治験を行うにあたって、進行スピードを正確に評価するなどの薬効の評価が困難であることから、MRIやPET検査などの画像診断法、脳脊髄液などの体液のバイオマーカー測定などを併用し、ADの病理学的変化を正確に診断した上で、その進行過程を正確に評価することを目的としている。2008年より日本でもADNI(J-ADNI)が開始され、進行経過の精密な追跡評価が行われた。ADNIはAlzheimer’s Disease Neuroimaging Initiativeの略。

※3 APOE4遺伝型
遺伝型とはある遺伝子の塩基配列パターンのこと。APOE4遺伝型は、Aβの脳内蓄積に大きく関わっているとされているAPOE遺伝子のタイプ。遺伝子のタイプはε(イプシロン)2、ε3、ε4が二つ一組で6パターンの遺伝型を構成しており、ε4の場合、すなわちAPOE4遺伝型を持つとAβの脳内蓄積が多くなることが知られている。

論文リンク:Dissection of the polygenic architecture of neuronal Aβ production using a large sample of individual iPSC lines derived from Alzheimer’s disease patients(Nature Aging)

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Posted by medit-tech-admin