ゲノム編集技術を応用し「人工遺伝子回路」の構築に成功、「細胞コンピュータ」の開発基盤となるか 京大CiRA

 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の研究グループが、ゲノム編集技術CRISPR-Casシステムの基盤であるCasタンパク質を用いて、遺伝子翻訳も制御できる人工遺伝子回路の構築に成功したと発表した。遺伝子発現を精密にプログラムする「細胞コンピュータ」の開発につなげたいとしている。

生体分子から構成される「人工遺伝子回路」の開発に進展

 成果を発表したのは、京都大学CiRA未来生命科学開拓部門の川﨑俊輔 特定研究員、小野紘貴 特定研究員、弘澤萌 特定研究員、齊藤博英 教授らの研究グループ。合成生物学分野では、細胞の機能をコンピュータのように精密に制御する「細胞コンピューティング技術」の研究が行われている。すなわち、細胞が環境中のシグナルを検知し、それに応じ適切な治療分子の選択や、発揮するタイミング、持続時間、強度などを自律的に決定し出力できるようにプログラムできる制御機構を研究する分野だ。この技術により、創薬やワクチン開発、細胞移植などの医療において、治療効果の向上や副作用の低減に貢献することが考えられている。精密な制御機構を実現するためには、コンピュータのように情報処理を行う複雑な論理演算回路を細胞内に、つまりDNA、RNA、タンパク質といった生体分子を使った「人工遺伝子回路」を構築する必要がある。

 研究グループは、これまでに人工遺伝子回路のパーツとして「mRNAスイッチ」を作製して人工遺伝子回路の構築を行い、これを利用することで細胞運命の制御が可能な技術の開発に成功している。しかし複雑な細胞操作を実現する回路を構築するには、これまでよりさらに多くのパーツが必要となるため、依然としてmRNAスイッチや翻訳を制御できるタンパク質の数が不足している。そこで研究グループでは、ゲノム編集技術「CRISPR-Casシステム」を担うCasタンパク質に着目した。

 Casタンパク質は、その多くがガイドRNAと呼ばれるRNA分子に導かれ、ウイルスゲノムを切断する「ハサミ」のような機能を担う。これまでにさまざまな種類の原核生物から非常に多くのCasタンパク質が同定されており、哺乳類細胞でもガイドRNAと結合し機能することが確認されている。Casタンパク質はゲノムを編集するためのツールや遺伝子の発現を調節するためのツールとして、ライフサイエンスの幅広い分野で利用されており、研究グループでは、Casタンパク質はmRNAスイッチの翻訳制御に利用できる有望な因子であり、タンパク質応答型mRNAスイッチのレパートリーの拡張に役立つと考え、以下の検証を行った。

Casタンパク質を用いたmRNAスイッチの翻訳制御技術の開発

図1:Casタンパク質による翻訳の制御

 研究グループは、Casタンパク質がガイドRNAに結合することに着目し、ガイドRNA配列をmRNAの5’側非翻訳領域 (5′-UTR) 内に配置することで、Casタンパク質がmRNAからの遺伝子の発現 (翻訳)を抑えることを見出した。図1は、ゲノム編集分野で広範に利用されているCasタンパク質であるSpCas9を用いた例。SpCas9に結合するガイドRNAをmRNAの5′-UTRに挿入することで、SpCas9応答型mRNAスイッチを設計した。このSpCas9応答型mRNAスイッチは、SpCas9が存在しないときはレポーターである緑色蛍光タンパク質が発現したが、SpCas9が存在するときは緑色蛍光タンパク質が発現しなかった。

Casタンパク質応答型mRNAスイッチの拡張と有用性の検証

図2:Casタンパク質応答型mRNAスイッチの直交性

 これまでにさまざまな細菌や古細菌からCasタンパク質が同定されており、ヒトを含む哺乳類の細胞内でゲノム編集の活性を発揮できることが報告されている。そこで、SpCas9以外のCasタンパク質も、mRNAスイッチの翻訳を制御するRNA結合タンパク質として利用できるかどうかを調べた。

 25種類のCasタンパク質に応答するmRNAスイッチをデザインし、ヒト細胞内で翻訳を抑制する効率を調べたところ、20種類のCasタンパク質が、対応するmRNAの翻訳を効率よく抑制できることが明らかになった。これまでに開発したmRNAスイッチの翻訳を効率よく抑制できるRNA結合タンパク質は5種類だけだったが、Casタンパク質を用いることでmRNAスイッチの翻訳抑制に利用可能なRNA結合タンパク質の種類を大幅に拡張できることが確認された。

 また、この「タンパク質応答型mRNAスイッチ」を人工遺伝子回路のパーツとして用いて、所望の挙動を示す回路を構築するためには、スイッチが互いに干渉しあわないこと、つまり直交性が高いことが必要である。今回開発したCasタンパク質応答型mRNAスイッチの直交性を確かめるために、25種類のCasタンパク質と、25種類のCasタンパク質応答型mRNAスイッチをあらゆる組み合わせ (25×25 = 625通り) でヒト細胞内に導入し、緑色蛍光タンパク質の発現量を測定した (図2)。その結果、直交性の高い13種類のCasタンパク質応答型mRNAスイッチを同定できた。このように互いに直交性の高いmRNAスイッチは、翻訳制御を基盤とした人工遺伝子回路を構築するためのパーツとして有用であると考えられる。

Casタンパク質の機能を制御する既存技術の翻訳制御への転用

図3:薬剤と抗CRISPRタンパク質による翻訳の制御
A:Cas9断片を二量体化を誘導する薬剤を用いた翻訳制御
B:抗CRISPRタンパク質を用いたCas9応答型mRNAスイッチの翻訳制御

 mRNAスイッチに代表される翻訳制御システムを使って、遺伝子発現をより微細に調節するためには、特定の薬剤などの分子シグナルの存在時にmRNAスイッチが駆動するような、条件付き翻訳制御法の開発が有効と考えられる。これまでこうした翻訳制御系を開発するためには、個々の分子パーツ (特に使用するタンパク質) の特性評価と、さらなる改変が必要だった。一方Casタンパク質は、ゲノム編集技術として活用するために、すでに薬剤や抗CRISPRタンパク質、光によって機能を制御する方法が開発されている。そこで研究グループでは、こうした既存のCasタンパク質制御システムを翻訳制御に転用できないか研究した。

 まず、Casタンパク質であるCas9をN末端断片とC末端断片の2つに分割しCas9の活性を不活性化した後、薬剤の添加によって二量体化するタンパク質ドメインをそれぞれの断片に融合した分割型Cas9を設計した (図3A左)。分割型Cas9とCas9応答型mRNAスイッチを細胞内に導入したところ、薬剤を添加した条件では、薬剤を添加しない条件に比べ、緑色蛍光タンパク質の発現が減少した (図3A右)。このことから、薬剤を用いて分割型Cas9の二量体化を制御することで、Cas9タンパク質の翻訳抑制活性を制御できることを確認した。

 続いて、Cas9とガイドRNAの結合を阻害する抗CRISPRタンパク質を用い、Cas9による翻訳の抑制を制御できるかを検討した。図3Bに示すように、抗CRISPRタンパク質の発現量が増えるほど、Cas9応答型mRNAスイッチから発現する緑色蛍光タンパク質の蛍光強度が高くなっていた。この結果は、抗CRISPRタンパク質がCas9による翻訳抑制を解除したことを示唆している。

 このように、薬剤や抗CRISPRタンパク質といったCasタンパク質の機能を制御するための既存技術は、翻訳制御技術にも転用できることが示された。

改変型Casタンパク質により転写・翻訳同時制御が可能な人工遺伝子回路を構築

図4:Casタンパク質を用いた半減算器

 Casタンパク質は標的DNAを切断するための「ハサミ」として利用可能なだけでなく、転写活性化ドメインや転写抑制ドメインを融合することで、任意の遺伝子の転写を制御するためのツールとしても利用されている。このように転写を制御できるように改変したCasタンパク質を用いて翻訳も制御できれば、一つのタンパク質で多くの機能を同時に制御することができるため、少ないパーツでより複雑な遺伝子発現制御ネットワークを構築することが可能になると考えられる(図4A)。

 そこで、まず転写活性化ドメインを融合したCasタンパク質を用いて、転写と翻訳の両方を同時に制御できることを確かめた(図4B)。続いて、転写活性化ドメインを融合した2種類のCasタンパク質を用い、転写と翻訳を制御することで、半減算器と呼ばれる引き算を実行する回路を細胞内で構築した。半減算器などの算術回路は、実際のコンピュータが作動するために必要な回路の一つで、この回路を細胞内で再現することは、哺乳類細胞コンピューティングを実現するうえで重要なステップとなる。

 半減算器では、2種類の入力A、Bそれぞれが存在するとき (1) と存在しないとき (0) のパターンの違いによって、出力D (差)、Bo (桁借り)のパターンが変化します。出力のパターンを観察するために、出力D、Boの存在を青色蛍光タンパク質と緑色蛍光タンパク質の発現として、設計した回路をヒト細胞内に実装したところ、意図した通り、入力の存在に応じて蛍光タンパク質が出力し分けられ、引き算の実行結果を表現することができた (図4C)。

人工遺伝子回路構築法「CARTRIDGE」

 以上の結果をもって研究グループでは、通常ゲノム編集技術として利用されてきたCasタンパク質をmRNAスイッチ開発に転用することにより、遺伝子発現を微細に制御し、複雑な人工遺伝子回路の構築が可能となったとし、この手法を「CARTRIDGE」と命名した。以下の利点があるとしている。

  1. ゲノム編集研究の広がりにより、Casタンパク質や抗CRISPRタンパク質など多くのCRISPR関連遺伝子が継続的に発見されている。そのため、これからも翻訳制御に利用できるCasタンパク質の数が増加する。つまり新規のCasタンパク質に対して、今回の方法を適用することでmRNAスイッチの数を継続的に増加させることが可能であると考えられる。
  2. CARTRIDGEは、さまざまなCRISPR技術を翻訳制御の仕組みとして再利用できる。今後のCRISPR関連遺伝子の発見やCRISPR技術の開発を再利用することで、目的遺伝子の発現を微調整したり、条件付きで制御したりできる新規の翻訳制御技術をより容易に開発できる可能性がある。
  3. CARTRIDGEは、1つのCasタンパク質で転写と翻訳を同時に制御できるため、より少ないパーツで高い情報密度と処理能力を実現できる。そのため、CARTRIDGEを用いることで「生体集積回路」が構築できるのではないかと考えている。

  研究グループでは今後、CARTRIDGEをさらに発展させ、より多彩な遺伝子発現パターンをプログラムできるようにし、容易に細胞コンピューティングを利用できる基盤を整備し、外界の情報を感知して細胞自らが状況を判断し、適切な機能を発揮できる「細胞コンピュータ」の開発につなげたいとしている。

※ mRNAスイッチ
標的となるタンパク質やマイクロRNA (miRNA) が認識する配列を挿入することで、遺伝子発現をON/OFF制御する機能を付与した人工mRNA。標的タンパク質/miRNAの存在の有無を検知し、遺伝子の発現を抑制したり活性化したりすることができる。

論文リンク:Programmable mammalian translational modulators by CRISPR-associated proteins(Nature Communications)