脊髄や神経などを損傷し四肢麻痺に陥った患者に対する、デジタル技術を活用したリハビリ支援や代替手段の研究が世界各地で進展しているが、このほどスイス連邦工科大学ローザンヌ校らの研究チームが、損傷した脊髄をインプラントなどを介したデジタル回路でバイパスし、人間の意思に合わせて運動神経に信号を送り直すことで歩行が可能になるシステムを開発したと発表した。長期間安定して稼働し歩行支援に大きな成果をあげただけでなく、リハビリにも前向きな効果があったという。
頭部と脊髄にインプラントを埋め込み、脳の信号をAIで解析
(論文の補足資料より)
研究成果を発表したのは、EPFL(スイス連邦工科大学ローザンヌ校)のグレゴワール・クレティエンヌ教授らの研究チーム。研究チームは以前より神経損傷を代替できるインターフェイスについて研究しており、脊椎にインプラントを挿入し、直接電気信号を与えることで下肢を動かせることを確認している。しかし人間の意思に基づいた動作という意味では不完全だったため、今回さらにシステムを拡張し、脳の信号を読み取るインプラント、解析するソフトウェアを追加した「脳・脊髄インターフェース(BSI)」を開発。被験者1人に施術し、効果を検証した。
今回開発されたシステムの大きな特徴は、頭部インプラントが測定した脳の信号を解析し、体のどの部分をどう動かしたいのかを常に把握する「デコーダー」となるAIプログラムを搭載していること。このプログラムを稼働させるため、被験者はプログラムが搭載されたノートブックが入っているバックパックを背負う。システム(インプラント)を埋め込む手術を受けた直後は、デコーダーの解析精度を向上させるため「キャリブレーション」と言われる調整作業を行うことになる。
被験者は、バイク事故による頸髄損傷で12年間にわたり下半身不随,上肢も一部麻痺になっている、比較的重篤度の高い男性だったが、システムを使用開始して数ヵ月のキャリブレーションを実施後、歩行できるようになり、階段も上れるようになった。開始1年後も安定してシステムは稼働しているだけでなく、このシステムが電源オフで稼働していなくても、松葉杖での歩行ができるようになっているという。つまり神経学的回復が望めるリハビリ治療の手段としても可能性があるということだ。
なお実験開始後半年あまりで、頭部インプラントの片方が原因と思われる感染症(黄色ブドウ球菌への皮下感染)が発生したため、いったんその片方のインプラントを取り除き、抗生物質の投与などによる治療を行なったが経過は順調で、完治後、再度インプラントを移植したという。もちろんその間、システムには不具合はなく完全に稼働していたとしている。研究チームでは、現段階では1人のみによる検証であり課題は多いが、将来的には、脳卒中による麻痺や、腕と手の機能回復に対しても適用できるようなものにしたいと見通しを述べている。
(論文リンク)Walking naturally after spinal cord injury using a brain–spine interface(Nature)