日本の医師が「3Dプリントできる人工呼吸器」のデータを無償提供 世界的プロジェクトへ
新型コロナウイルスの猛威は収束するどころか拡大の一途を辿り、世界を覆い始めている。イタリアでは累計の死者が中国を上回り、収束の気配は一向に見出せない。世界中の医師が患者を救うため様々な取り組みを行う中、日本の医師が自らの研究成果を無償で提供し、人工呼吸器不足にあえぐ地域への迅速な供給体制を整えようと動き始めている。
国立病院機構・石北直之医師開発の「3Dプリントできる人工呼吸器」
取り組みを始めたのは、国立病院機構新潟病院 臨床研究部医療機器イノベーション研究室 室長の石北直之氏。小児科医として小児のてんかん患者への早期治療を行いやすくするため、手動でガス麻酔を可能にする「嗅ぎ注射器」の開発を思いつき、株式会社ニュートンと共にプロトタイプを開発した。てんかん発作への最終手段とされるガス麻酔を、簡単で誰もが使える機構の「嗅ぎ注射器」を開発することで、治療の質を改善しようとしたのである。
この「嗅ぎ注射器」は動力を必要とせず(コンプレッサー等を使うのも可能)、電源等のない災害地などの極限状態でも動作するため、大きな注目を浴びた。中でも期待されたのは宇宙空間での使用だった。ISS(国際宇宙ステーション)における宇宙医療の一環として、この嗅ぎ注射器をステーション内で稼働させるプロジェクト「STONY」が立ち上がる。プロジェクトのなかで石北医師をはじめとする研究メンバーは、宇宙船内に未承認医療機器を積載できないというハードルがきっかけで、ISSに持ち込まれている3Dプリンタへ製図データを伝送しその場でプリントさせるという手法を開発。結果的に地球からどんなに離れた場所であっても、人の命を救う医療機器を転送可能な技術を確立したブレイクスルーとなった。この研究は高く評価され、2018年にAsMA(Aerospace Medical Association)にて、R&D Innovation Awardを受賞、同年よりMAU(米国火星アカデミー)による世界初の模擬火星基地医療シミュレーション「Mars Medics」に公式採用されている。
この注射器は非常にシンプルであり、非常に幅広い用途に使えるもの。手動の人工呼吸器としても活用でき、3Dプリンタがあれば、人工呼吸器が不足している地域も短時間で調達できうる。このデバイスが新型コロナウイルス感染症対応で医療資源不足にあえぐ地域に貢献できるのではと、MAUで石北医師と共同研究を行なうJeremy Saget医師からつい先日の3月15日に相談されたことで、プロジェクトが一気に動き出した。
石北医師は自身のFacebookアカウントにこのアイデアを投稿し、自身が権利を持つこのデバイスの製図データを無償提供する意向であることを表明、ニーズのある地域からの問い合わせとプロジェクトへの協力者を募った。たちまち多くの引き合い、協力の申し出があったという。
「フルーガル・イノベーション」で一刻も早く現場へ 日米印の協働プロジェクトに
その呼びかけに応えた有志のひとりが、広島大学トランスレーショナルリサーチセンター准教授の木阪智彦医師だ。実は石北医師とは、スタンフォード大学バイオデザインプログラム監修の「日本医師会バイオデザインワークショップ」でともに学んだ仲。石北医師のこのアイデアを着地させ、現在と将来の患者を救い、各国の医療関係者を救うために協働を申し出た。木阪医師によると、そのためには越えるべき3つのハードルがあるという。
①必要とする国や地域で実際に使用できるか、診療と許認可の確認
②現地で安全に患者に使ってもらえるような工業的な品質管理
③医学的妥当性とその後のフィードバックを活かす研究面のシステム構築
①については、各国あるいは地域でさまざまであり、木阪医師が自身の経験・知見のある地域を中心に検討を進め、レギュレーションの専門家の意見を仰いでいる。
②についてはつまり、現地で3Dプリンタによる制作を行なった際の品質チェックのこと。石北医師が製図データを送る前に、3Dプリンタの出力精度を確認するためのサンプルデータを提供し、実際に出力を行なってもらった上でその写真を送ってもらい、精度を確認する手順を検討している。
③については、木阪医師が勤務歴のあるUCLA教育病院(ハーバーUCLAメディカルセンターの呼吸生理学救急医学講座)に協力を仰ぎ、検討してもらっているという。
これらの点をクリアするため、木阪医師が准教授を務める広島大学トランスレーショナルリサーチセンター、同大学と交流協定を結ぶインド工科大学デリー校生命医工学センター、UCLA教育病院(ハーバーUCLAメディカルセンターの呼吸生理学救急医学講座)がコミットしプロジェクトを進めている。
このプロジェクトの座組の狙いについて、木阪医師は「日本の技術とアイデアを、イノベーション先進国のインドで低廉に実現する方法に載せ、アメリカの国際評価水準に合うよう持っていくのが青写真だ」と語る。インドでは低廉かつ高機能なニーズをとらえた開発手法、いわゆるリバースイノベーションが医療機器分野で発展している(フルーガルイノベーション)。「その拠点と協力して最小限抑えるべき臨床的な要求としてギリギリを攻めたい。今回の場合、余計なセンサーもなく、湿度も圧力も最小限にして『患者さんが呼吸して生命を維持する』ことだけに注力して救命を目指す」と語った。
現在この2人を中心としてプロジェクトを進めているが、アイデア発表以来各国から問い合わせが相次いでおり対応に追われているという。木阪医師は「いまは人手が足りない。大学で得ている研究費は人件費に使えるものが限られている。贅沢とは分かっているが、特に専門知識のある方にテンポラリーでも良いので来ていただき、申請書類や実験計画、検査データのまとめを手伝っていただきたい」と現下の課題を口にする。石北医師も「データは無償で提供するつもりだが、承認申請のプロセスや研究に費用がかかるため、研究室に寄付があればもっとスピードアップ出来る」としており、現在クラウドファンディングも準備中とのことだ。協力の申し出は石北医師、木阪医師のSNSアカウントまで連絡してほしい。
【3月22日追記】石北医師がこのデバイスの耐久性を証明するため連続稼働実験を現在行なっており、YouTubeにて生中継を行なっている。
外部サイト:Long-Term Endurance Test of Automatic Ventilation Valve (E-mail Ventilator)