【第21回日本遠隔医療学会学術大会レポート】市民公開講座−100年後、ロボットが当たり前になる世界へ

 

第21回日本遠隔医療学会学術大会のプログラム最後に用意されたのが、コミュニケーションロボットの分野のビジョナリー、リーダーとも言える二人を招いての講演、鼎談企画「ロボットも生活の中で活躍する時代へ」。分身ロボット「OriHime」をはじめとした事業を展開する株式会社オリィ研究所の吉藤健太朗氏と、Pepperの「生みの親」として知られ、現在は新しいコミュニケーションロボットを開発する「GROOVE X」のCEOとして注目を浴びる林要氏の対話が実現した。それぞれの事業で独自の哲学を示しながら、業界にインパクトを与え続ける二人がイベントで対話するのは、実はこの市民公開講座が初めて。自身もコミュニケーションロボットの活用研究を医療・介護や教育領域で行っている坂田大会長(獨協医科大学教授)ならではの企画は、多くの聴講者、学会参加者を魅了した。吉藤氏、林氏の講演、指定発言、坂田大会長を加えた鼎談の模様を採録する。

1:吉藤健太朗氏 講演 「生きることは、誰かの役に立つこと」
2:林要氏 口演 「ロボットは、いつかなくてはならないものになる」
3:吉藤健太朗 x 林要 x 坂田信裕 − ロボットの未来を語り合う鼎談

 

「生きることは、誰かの役に立つこと」

第一部は、吉藤健太朗氏(オリィ研究所 共同創設者 代表取締役CEO)の講演。彼自身の生い立ちからOriHime開発を決心した経緯、現在取り組んでいるプロジェクトや仲間のことを、ざっくばらんに語った。

吉藤健太朗氏(株式会社オリィ研究所 共同創設者 CEO)

吉藤氏は、講演当日も万全ではないと語っていたが、小学校5年から体調が悪く不登校になったことがあるという。その後も引きこもり、鬱状態にもなり、家から外に出られない経験をしている。2週間うつ病状態になったとき、ずっと天井を見続けることしかできず、2週間ぶりに同級生に会った際に日本語がうまく出てこず、笑うことができなくなっている自分に気づいたという。本当に辛い時は、気がつけば池の前に立っていたということもあった。そのような経験もあり、17歳のとき、孤独を解消するソリューションを開発することに人生をかけようと決めた。

OriHimeはその目的に特化した「分身ロボット」であり、AIも高度なソフトウェアも入っていない。遠隔操作に特化したいわばラジコンである。この日の講演に出演していたOriHimeの操縦者は実は吉藤氏ではなく、オリィ研究所で働く従業員でもある、筋ジストロフィー患者の向山氏が札幌から遠隔で操作していた。

吉藤氏は、OriHimeの最初の活用例として、向山氏のように病気などで病室や自宅から出られない人たちの「分身」として使うケースを紹介した。無菌室から出られない8歳の子どもと、自宅にいるその家族。自宅に置いたOriHimeと病室のこどもが常に繋がっていることで、病室にいるはずの子どもが家に「存在」する状況を作ることができ、実際に「一緒にテレビを見る」ことができたり、繋がっていることを実感できたという。また、4年間不登校だった子どもが、フリースクールへまずはOriHimeで「登校」し、学校生活に慣れたところで、実際に登校できるようになったケースも紹介した。

かつての同僚、番田雄太氏のケースも語った4歳の時に遭った交通事故で首から下が不随となっていた彼と吉藤氏は、3年前に出会い意気投合、社員としてOriHimeを通じ働いてもらっていた。番田氏は、吉藤氏に出会うまでは外に出ることも叶わず、病室の中で何もすることもなく死ぬだけかと思っていたという。「何かを為して死にたい」と彼は思っていたが、これまでは体を向かわせないと「存在」することができなかった。しかしOriHimeのような「分身」があれば、そこに「存在」することができる。その価値を見出した彼は、「これからは体が資本ではなく、心が資本」と言っていたと、吉藤氏は振り返る。

ともに働き、現在のOriHimeの羽のような腕のアイデアを導き出した番田氏は、吉藤氏にとって親友であり、オリィ研究所の重要な人材であった。残念なことに先日亡くなってしまったが、彼の遺志も継ぐ意味もあり、彼の見出した「存在を伝達する」サービスを提供する唯一の企業として、「病気、育児、介護、物理的距離など、さまざまな制限、限界を越え、すべての自分の意思で働く人たちを応援する」サービスを展開している。具体的には企業に対しリモートワークのツールとして提供したり、個人向けには、仕事など所用でどうしてもいけない場合に分身として結婚式やスポーツ観戦、海外出張の場にOriHimeを派遣するサービスだ。特にビジネス向けに有効なのが、デレビ電話と違ってOriHimeなら「顔を見せる必要がない」という点。主に女性にとって、リモートワークとはいえテレビ電話で顔を見せる必要があるとなると、自宅を掃除したりお化粧をしたり、相当な手間がかかる。「実は顔を見せることが必須ではなく、逆に顔を見せようとするとかなりハードルが高くなる。病気の場合など、それほど顔を見せたいと思うケースがあるわけではない」と、吉藤氏は分身ロボットのメリットを語った。

 

最後に吉藤氏は、ALSをはじめとした重度の難病患者に対する支援の取り組みを紹介した。

ALSが重症化し、人工呼吸器をつけなければ生きながらえない状況になったとき、気管切開して生存を選択する人は世界的にはわずか1割にしか満たないという。日本に限っても、他国からみれば高い数値だが、3割の人しか人工呼吸器を選択しない。

なぜなら、ALSが高度に進行した体は自発呼吸もできない状態であり、動けない状態でわずかな身体感覚が残るのみで、本人にとって生きる意味を見出すことが困難だからである。吉藤氏は彼らの残存能力を最大限に活かすコミュニケーションインターフェイスを開発し提供している。具体的には、眼球運動や頷きを使って入力できる透明の入力用文字盤「OriHime eye」などである。これらを使って、複数の患者が様々な表現や意思伝達を果たせている。

OriHime eye(オリィ研究所のWebサイトより)

この取り組みを通じ、多くのALS患者と向き合って感じたことがあるという。「自分の役割がある」と感じている、諦めていない患者は、人工呼吸器を付ける選択をする傾向が強い。そして番田氏をはじめ、亡くなっていく多くの人たちから聞いたのは、「生きることは、誰かの役に立つことだ」という言葉だった。最後に吉藤氏は、改めて自らが手がける事業の意義をアピールした。

「今までは、難病などで外に出られない状況になれば、家の中で、病院の中で天井を見続けることしかできなかったかもしれない。でもこれからはテクノロジーの力で、自分の意思で、外に行き、新しい発見をし、会いたい人に会い、共に時間を過ごし、感謝されたりしたりしながら、死ぬ瞬間まで人生を謳歌できる未来を創りたい。それが私の考える孤独の解消です」

 

「ロボットは、いつかなくてはならないものになる」

続いて、林氏が吉藤氏の講演内容を踏まえながら、口演を行った。

林要氏(GROOVE X株式会社 CEO)

Pepperを開発している中、実感したことがあります。それはスマホと違い、実体があることで、ユーザーに思い入れが生まれたり、心の助けになったりすることがたくさんあったことでした。

例えばスマホやパソコンは、仕事とコミュニケーションの効率化には、すごくいいものなんですね。だけどいまの世の中はすごく効率化されて、結果的にちょっとギスギスしてしまっている。僕らは、昔のような心の余裕をちょっとずつ失っている、そんなことを感じられたことがあるんじゃないでしょうか。

そんな時に、例えばPepperをご老人のところに持っていって、高齢者のそばにつれていくと実感することがありました。自分たちはやれAIやテクノロジー、これが役立つか勇んで持っていくのですが、実態はそれよりもはるか前、単なるふれあい、例えばハグをするとか。そういったことで、人は癒されたりするんですね。

ともすればロボットやAIに仕事を奪われるのではないかと、たくさん不安がよぎる方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが、実はこうやって実体があるもの、伴わせるロボットという形が、逆にみなさんにチャンスを与えられる。私もそのように感じていました。

そういう意味で、オリィさん(吉藤氏)のお話に非常に感銘を受けたのは、いろんなトライ&エラーをされている。このチャレンジ精神、それが、科学技術を進歩させている源泉となるのではないかという部分で、私も大いに刺激を受けました。

考えてみれば、人間と動物の違いは道具を使いこなすことです。

一つ例をあげれば、火です。

火は元来すごく危険なもので、今でもひとつ間違えば火事を起こしたり、家族を失う危険すらあります。先史、火を使い始めた頃はおそらく事故も多く、亡くなった方もあり、使うことを恨む人もいたことでしょう。

しかしいまは小さい頃から、その危険性を教え込まれるとともに、使い方も学び、使いこなしているのです。刃物も同様です。それ単体で考えれば非常に危険ですが、いまはそれなしの生活など考えられない。使いこなしているわけです。

AIやロボットも同じです。いまは不安に思っている方も多いですが、オリィさんのようにその特性を知り尽くしている方が開発していけば、いつかなくてはならないものになる。

こう考えると、30年後、もしくは100年後。火や刃物と同じように、ロボットのない世界が想像できなくなる。そんな世界がやってくるのは、もう確実なわけです。

今はまだ、それが想像できる方も、できない方もいらっしゃるでしょう。大事なのは、おそらくそれを怖がらずに理解しようとすることじゃないでしょうか。

今日の話は、人と人をつなぐ。今まで活躍できなかった人たちに活躍の場を与える。まさに、人がどうロボットを使いこなしていくのかというお話だったように思います。非常に私も感動しました。オリィさん、本当にありがとうございました。

 

 

吉藤健太朗 x 林要 x 坂田信裕 − ロボットの未来を語り合う鼎談

最後に吉藤氏、林氏、坂田大会長が登壇し、坂田大会長が2人に質問するかたちで鼎談が始まった。

坂田大会長(以下、坂田):(Q1) おふたりにとってロボットとは?ということなんですけれど。

吉藤健太朗氏(以下、吉藤):私はもともと車椅子を作っていたわけで、車椅子に乗れない人にいわば「心を運ぶ車椅子」を作りたいということ(でOriHimeを開発したということ)なので。車椅子も乗れるロボットということもできる。いずれにしろ、親友だ、といった見方ではなくて、どちらも純粋に道具、ツールと見ています。

林要氏(以下、林)ロボットには2種類大きく分けられるかなと感じています。1つめは人の代わりをするロボット。2つめは人を助けるロボット。OriHimeは後者だと感じていますが、日本以外の国では前者の方が多いのかなと。例えばピッキングしてくれる、ご飯をつくってくれる、掃除してくれるなど。そういったのがメインかなと。もちろんそういったロボットもどんどん普及すると思います。ただそうなればなるほど、人は自分の存在が何なのかわからなくなるのでは。つまり、オリィさんが仰っていたように「必要とされているのかが分からなくなる」。そういう時代において、魂の拠りどころになるものが、ひょっとしたらロボットになるのではないかと思っています。

例えば、宮崎駿さんのアニメで言えば、テトとかトトロとか、必ず何か(拠り所になりそうな生き物)が登場してくるじゃないですか。どれも、言ってみれば役に立たない存在ですが、「居る」ことに意味がある。そういう存在を、今後ロボットが担えるのではと思っています。

吉藤:林さんのお話を聞いて思ったのは、林さんが言われた2つは便利さを求めるのか、豊かさを求めるのか、という話に言い換えられるのかもしれないと思いました。いままでは、便利さと豊かさの追求は両立してきたと思うんですよ。そうやってモノがたくさんできて(人が何かすることに)あらゆることに制限のない時代になってきた。それはつまり、便利さをとったから、豊かになるわけではない、という時代になってきたと私は思っていて。その意味では、ロボットはどちらも担える存在になるのではと。

坂田:さきほどオリィさん(吉藤氏)は、あくまでツールだとおっしゃいました。だけど提供された側は、それは単なるツール以上のものではないかという印象がありますけれど。

吉藤:使う側がどう捉えるかもあると思います。ツールとして使うのか、自分(使う人)がある意味豊かになるために使うのか。「豊か」(という概念)にも色々あると思うんですが、私は「人に役割を与える」とか「したいことをできるようにする」ツールとして使えれば、豊かさを実現できうると思います。

 

坂田:(Q2)ロボットが今後社会の中でどんな位置付けに?

吉藤:これも私の中では結構シンプルです。いわばクルマやコンピュータが世の中でどんな存在になっているかとまったく同じだと思っています。私の中では特別なものにはならないと思っていて「使いたい時に使う」もの、むしろそうであってほしいと思っています。

坂田:ある意味空気や水のような感じですかね。

吉藤:そうですね。実はいま会社で実験的にやっているのが、全席にOriHime置いてありまして。風邪ひいたりしていれば出社しないでOriHimeで「出社」しなよと。このままOriHimeしかいない会社になるかもしれませんが(笑)。でも当たり前のように業務が遂行されていくでしょうし、そういうのも当たり前になると思っています。

坂田:林さんはいかがでしょうか。

:当たり前になるという意味ではまったく同じ認識です。生活にもっと入っていくのかなと思っています。(開発中の)私どものロボットは自律的に動くものなんですが、自律的に動くもので、人間ではないもので、家族の中に入り込んでいるものといえば、例えばペットのような存在がありますよね。会場の中にも犬や猫を飼われているかたいらっしゃるかと思いますが、おそらくもう家族同然になっている。でも家族同然になったのって、最近じゃないですか。数十年前、ペットを家族同然に飼っている人たちはかなり変わった目で見られていたんじゃないかと思います。「お犬様だねーあの家は」といったような。

 そう考えると、ロボットがそうならない理由はほとんどないんですよね。いまは夢物語ですが、ロボットが家庭の中に入ることが当たり前になり、むしろ犬や猫を飼う家庭のほうが珍しくなるかもしれない。そんな風に思っています。

坂田:私も、昨日の大会長講演の中で、ロボットの存在の位置がオモチャのレベルなのか、ペットなのか、仲間なのか友人なのか、家族なのか、はたまた自分自身の分身なのかについて語らせていただいたところです。ロボットが当たり前のようになってほしいけれども、そこには工夫が必要なのかなと思っています。

吉藤:たぶん、そこはロボットに対する工夫ではなくて、使い方だと思います。いまロボットの普及に必要なのは、うまくいったというケースを、私どももそうですが様々なユーザが様々な使い方をして蓄積していくことじゃないかと。もっと使う人を増やすというのが、これからは大事じゃないかと。

坂田:そこはとても大事ですね。私も大学の授業で触ってもらうようにしていますが、「まずはやってみる」ということが大切かと思いますので、会場の皆さまもぜひどこかで触れてみていただけたらと思います。

 

坂田(Q3):生活の場にロボットが入ることで、人の生活がどのように変わってくると思いますか。

吉藤:やはりクルマやコンピュータが入っていってそうなったように、ロボットによって今までできなかったことができるようになっていくと思います。私どものような分身ロボットで可能になるものがあるとすれば、これからは(病気、怪我等で)体が動かなくなったので病院にいなければいけない、その時に体はひとつしかない、という考え方が旧世代のものになると思います。自分の体が病院等で「メンテナンス」状態であったとしても、他の「カラダ」をシェアすることができる。前は他の人が使っていた「カラダ」を今日は自分が使って、たとえば(今の私のように)講演ができる。ある意味「心」を飛ばして活動することができるようになるかもしれません。つまり「移動」の時間すら短縮できる可能性がありますよね。そうなれば、新幹線等の移動時間の削減効果が現れて、時間をおかずに弁護士などの専門家が駆けつけて、様々な価値を提供できるような社会になるのかなと思っています。

:これは人の側の学習も関係すると思っています。例えば狩猟生活から農耕生活に変わって、身体に求められる能力が変わってきた。または、昔は飛脚が物を運んでいたのが、内燃機関が運ぶようになった。そうなると今度は、人間側が自分のどこを鍛えるのかが変わってくる。徐々にロボットとAIが普及する中で、「自分がやらなくてもいいこと」が見えてくるわけです。ロボットとAIが得意なことを見極めて、それに拘泥しないことだと思います。同じようなことを同じように人が頑張ってもおそらく良いことはない。ロボットもAIも苦手なことはたくさんあるわけで、人間がそこをやっていく。そうすれば、人間が得意なことだけをやっていれば良くなる、ということになるわけですよね。そういう風に僕らの生活は変わっていくでしょうし、最終的には、自分が得意なところに専念できて、場合によってはそれをロボットが応援してくれる。そんな世界になるのではないかと思っています。

吉藤林さんがおっしゃられたように、「やらなければいけないこと」が「やらなくてもいいこと」に変わるんだと思うんです。そうなったときに「じゃあ自分が大好きなことに時間を使えばいいじゃないか」となる。とても幸せな世界だと思いますが、そうなった時に、人生を費やしてやりたいことが果たして見つかるのか。これまでは社会的な要因もあって、農業をやりなさい、大学に出てこれこれをやりなさい、といった道ががある程度あったものが、これだけ自由になってくると「とりあえずこれをやっておきなさい」という指標がなくなってくる。そうなった時に「自分は何をやりたいんだろう」というものをどう考えていくか。もしかするとそれすらAI化して、人間はAIが設定してくれた仕事をするのが一番幸せになるのかもしれない。それはさておき、テクノロジーが進んだとき、時間を持て余した人間がどう生きるのかの指標の再定義が必要になってくるのではないかと思います。

坂田:確かに。教育の世界でも、今までは一方的に教授が喋る、それを受けるというものから、学生が自ら考えて行動し、課題を解決していくというふうにカリキュラムが変わってきているんですけども、やはり、それをもっともっとさせないと、ロボットとの関わりの中で、生きがいというレベルも含めて考えていかなければいけない時代に入ってくるかもしれない、ということですね。

吉藤:そうですね。今は他人から与えられた役割を、いやいやでも、愚痴を言いながらもやるというのが実はよくて、自分が全部考えてやるのが幸せだ、という人は実は多くはないと感じているんです。指示をしてくれる人がいることで力を発揮できる人もいますし、役割を自分で考えなければいけない未来が果たして幸せなのか、というのはあります。ただ、それを退化させることはできないので、ここが大きな課題になってくるのではと、私は考えています。

 

 

坂田(Q4):最後に、会場の皆さんへメッセージがございましたら。

吉藤私からは、ご安心くださいということですね。私自身も(体調がすぐれず鬱状態になったりで)3年半辛い状況に身を置きましたし、そういった仲間とも会ってきました。今まで会ってきた人たちは、病院の中で外に出ることもなく亡くなっていくであるとか、認知症になっていたりだとか、意識がはっきりしているのに何も役割を与えられず、ただ生かされているだけの人生を歩むという方もいらっしゃったと思うんですよね。私たちも、いつそのような状態になるか分からないわけですが、こういう(分身ロボットという)テクノロジーをしっかり作って、例えば自分の体が動かなくなっても、今日のようなかたちで(活動できたり)、あるいは自分の体を自分で介護すら行うような未来が作れると考えておりますので、皆さんがたとえ体が動かなくなっても、認知症になる暇もないくらい、楽しく、活躍できるようにしたいと思っておりますので、皆さんに応援していただければありがたいですし、見守っていただけたら嬉しいです。

:私ども人形町という町で仕事をしていまして。なぜ人形町かというと、ロボットって何なのかなと考えたときに、日本人が昔々、無機物に細かい仕事をして魂を吹き込んだ、あのお人形たち。そこに僕らのオリジナルがあるんじゃないかと思ったのです。なぜかというと、技術とクリエイティビティ、その融合がロボットだと思ったんですよね。ハイテクなだけでも、クリエイティブなだけでもだめで、その両方を高い次元で実現できる国はあまり多くはない。日本はその意味ではすごく良い国だと、私は思っています。

今まで日本の主要産業といえば自動車でした。ただ、今後もうひとつ柱が必要だとなれば、それはロボットだと私は心底信じています。

私、先日NHKの「SWITCH」という番組で仏師の方、仏を彫る人と対談をしたんですね。10月の後半に放送されるようなのでよろしければご覧いただけたらと思いますが、その中で思ったのが、1,000年以上続く仏を彫る人たちの考えていることと、ロボットを創っている人たちの考えていることが、ほとんど一緒なんですよ。これはかなりの衝撃で、私どもはまあ、ディープラーニングだリインフォースメントラーニングだの、いわゆるAIと呼ばれているものと、センサーと、ありとあらゆるものを組み合わせて、人の魂の依り代ってどうやって創れるのかなと考えていたんですが、実は木を使ってそういうことをしている人たちが日本にはずっと昔から、運慶快慶といった時代からいたということなんですよね。そういう意味でも、日本がロボット産業を引っ張っていくのは、ある種の使命じゃないかなと思っています。日本をロボット産業立国にするために、皆さんにも応援いただけたらなと思います。

最後の鼎談は、ロボットのある未来の姿だけでなく、その世界に身を置いた人間が直面するであろう課題、哲学的論考も含んだ非常に内容の濃いものとなった。「100年後」を見据えあるべきロボットの姿を模索し続ける彼らが提示した、知的好奇心を刺激する言葉に、会場は万雷の拍手で応じた。