[佐賀編 II]データの地産地消が世界を変える
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末岡所長は、メディカルイノベーション研究所の長としでだけではなく、医療情報に関する国、県、佐賀大医学部附属病院それぞれの施策、研究などの取り組みにも関わっている。佐賀大が関わる、そうしたプロジェクトについて聞いた。
医療ビッグデータを「表」と「裏」から同時に整える佐賀大学医学部
末岡教授 佐賀県ではちょうど、幅広い診療情報地域連携ネットワーク、“ピカピカリンク”を立ち上げていこうとしているところです。その一環として、今回の研究分野である救急、眼底画像による疾患の早期診断だけでなく。一緒にICT医療を、地域、地域包括ケアの中で取り組められればと考えています。それから佐賀大単体では、Mirca(ミルカ)というサービスも行なっています。ICカードにその方の医療情報を預け、その方が同意すれば、医療機関等に“見せてもいい”という、患者さんが自らの意思で個人情報を提示するようなシステムです。患者さんの個人情報はあくまで患者さんのものであって、私たちがコントロールするものではない、というのが基本的な考え方なんですね。地域医療構想、PHR事業を具現化する際には、このサービスを使っていこうと考えています。
「ピカピカリンク」とは:
複数の医療機関を受診されている患者の診療情報を、患者の同意の下、繋がった病歴として参照できるようにする「佐賀県診療情報地域連携システム」の愛称。広域化にも着手しており、くるめ診療情報ネットワーク協議会の「アザレネット」、八女筑後医療情報ネットワーク協議会の「八女筑後医療情報ネットワーク」との総合接続を実現している。「Mirca(ミルカ)」とは:
2014年から開始した佐賀大学医学部独自の取り組み。患者にユニークなQRコードが記載されたカードを渡し、自ら設定してもらうパスワードや別途付与のIDと組み合わせた認証で、セキュリティを担保しながら、診療情報の一部を専用のスマホアプリに表示できるシステム。アプリに表示された内容を、自らの意思で簡便に医療関係者へ見せることができる。「PHR事業」とは:
AMED(日本医療研究開発機構)が募集した平成28年度「パーソナル・ヘルス・レコード(PHR)利活用研究事業(2次公募)」に、佐賀大学医学部救命救急センターの阪本雄一郎教授の研究が採択されている(テーマ2の、臨床及び臨床研究の充実のための本人に関する多種多様な情報のデジタル化・ネットワーク化及び統合的な利活用を可能とする基盤的技術に関する研究において)。末岡教授 ビッグデータという意味では、PMDA(医薬品医療機器総合機構)のMID-NET®に佐賀大も参加しています。九州では九大とともに、MID-NET®の整備に中心的な役割を果たしています。いま九州全体へ広げようとしているところで、少なくとも検査情報は九州全県で共有できるようにしていきたいですね。なおこのシステムのデータはサーバが公共機関、あるいはそれに準ずる団体が官掌するところに置かれています。また、佐賀大は県内公共機関のBCP(災害等における事業継続計画)策定の中心でもあって、その計画ではクラウドに保存することになっているんですよ。こういった流れを活かして、こちらでも情報共有のモデルを作りたいと考えています。
MID-NET®とは:
PMDAの医療情報データベース基盤整備事業で構築が進む、協力医療機関(10拠点23病院)を拠点とした分散型のデータベース分析システムのこと。各協力医療機関が独自で保有する傷病情報、処方情報、検査結果情報等の情報を標準化データベースに格納し、適切な匿名化処理を実施した上で各拠点に集積する。データ分析時は専用回線を通じセキュリティを担保しつつ、複数拠点のデータを統合解析することが可能。佐賀大学医学部附属病院は10拠点のひとつに採択されている。
つまり佐賀を舞台に、患者側への医療情報開示、共有を行なう「フロントエンド」と、医療機関、医療者間で情報を共有/解析し利活用する「バックエンド」の情報システム構築への試みが、同時に展開されているということだ。共有する情報がすべて同じというわけではないが、統合的な情報基盤構築への先行例と考えれば、大変興味深いプラクティスと捉えることができる。
「あくまで大事なのはその中身。放置すると危険ですらある」
これらは情報を流通させるネットワーク、インフラの取り組みだが、末岡所長はそこに置かれ、利活用される医療情報そのものについても一家言を持っていた。
末岡教授 電子カルテのデータはSS-MIX2(厚労省が定めた診療情報の標準記録フォーマット)で取り出せますが、あくまで大事なのはその中身であり、適正に記録されているかが問題です。私たちは次に、こういったシステムに記録されている、あるいはこれから記録されるデータの質を上げるための取り組みを始めようとしています。
しかし、そのまますんなり統合できるかというとなかなか難しい。MID-NET®事業に参加してはじめて分かったんですが、例えばクレアチニンひとつとっても、コードが試薬ごとに違うから、そのまま統合しても比較できないんです。ひとつひとつ統合作業をしていくしかなく、いま九大と佐賀大は完了し、県内の他病院で完了しつつあります。しかし、ここまでに3年かかっています。ちなみにメジャーな検査項目で使われる試薬の90%をカバーしようとすれば、それだけで200項目。佐賀大では2,000項目あるんです。でもこうした共有のための地味な作業を怠ったまま統合すると、間違った検査結果として認識される恐れすらある。過去のデータはすべてそうなっているので、まずはそこを正さないとビッグデータにならないわけです。役に立たないデータから生まれるものは、単に役に立たないだけなんですが、検査データの場合、これを放置すると危険ですらあります。
それでも、検査データは比較的やりやすいと考えています。大変なのは所見や病歴の情報で、技術を使って、インプット時に何らかの補助をすることで実現できないかと研究を始めています。この取り組みが上手くいけば、検査結果や処方結果だけではなく、名医がどのようにその患者を診て、どう考え治療方針を決定したのかという見えないナレッジを「見える化」することができると考えています。教えるのが上手な名医もいれば、不得意な名医もいる。個人的には、若い医師が検査結果だけを見るような傾向を感じているので、この取り組みを通してナレッジの均てん化をはかっていきたいわけです。
10人しか診られなかったところを、1万人診られる世界へ
ーなるほど、その「見える化」は、人工知能で実現していくというイメージでしょうか。
末岡教授 人工知能の強みは、今までは匠が教えないといけなかったところを、教えられなかったところを「見える化」できるところです。うまく活用すれば、10人しか診られなかったところを1万人診られる世界、医師にとっても、知識も増えて、これまで学べなかったところを学べる世界をつくることができる。人工知能にいいイメージを持っていない方もいるが、うまく利用すれば、患者さんに寄り添った診療ができると考えています。専門的な知識、経験値、アイデアとデータ。これらがすべて揃っていくことが大事で、どれが欠けても上手くいかないんですね。
地域医療、総合診療、家庭医。そういったものを推進するならば、専門を深く狭く研究している医師と、広く浅く地域医療で臨床に頑張っている医師の間にある知識の非対称性、不均衡を是正していくことが必要です。そのために人工知能は役に立つと思うんですよ。
末岡所長の展望は、医療情報を整え解析し、人工知能で名医のノウハウを「見える化」するところまで具体的にイメージされたものだった。ならばその構想が患者にもたらすものは何か。
末岡教授 将来的に考えているのは個人に紐づいた所見や検査データの活用で、自動診断や予測に繋げるということです。紐づいたままで活用することで、より精度の高いアウトカムへ繋げられる可能性があります。一方で、個人の生活習慣、食事の傾向といったデータも集めて、個人個人に対してリスク評価、介入につなげていく流れを地域で作っていきたいし、地域でなければできないことではないかと思っています。
地域で集めたデータを地域で役立てる。末岡所長の考えるICTやデータ利活用の最終形は、病院へ来る目の前の患者さんのために使うというものだった。最後に、その佐賀で意欲的な研究が集積しつつある理由を聞いた。
末岡教授 佐賀は組織の大きさが、医療圏がひとつということもあり丁度いいんですね。県としてまとまりやすいというのがあるのかもしれません。佐賀や九州で出てきたもの、作ってきたものを輸出できるようになれたらいいですね。
データ整形の苦労を語っていた時の表情からは一転、柔和な笑顔を見せながら発せられたその言葉には、この地の医療関係者が持つ一体感、繫がりというものを感じることができた。その契機は危機感というネガティブなものであるかもしれない。しかしだからこそ、それが取り組みへの強い推進力になっているのではないだろうか。